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台湾旅日記(7)霧社事件の地を訪ねる

台湾旅日記、続きます〜〜

まだしばらく、胸苦しいお話。

 

セデック族に会いたくてローカルバスで川中島へ行ったその翌日、いよいよ霧社事件【注】が起こったその場へ向かいました。

 

埔里からバスで小一時間、霧社バス停のひとつ前・保護駅(ホーゴーバス停)で下車。

そこには、霧社事件の抗日リーダー・モーナ ルダオのお墓があります。

 

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さまざまな政治事情で、事件が起きた現場に祀られることになったモーナ ルダオさん。

 

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このかっこいい方が彼です!

 

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長らく行方不明になっていた遺骨も見つかり、今はこの地に眠っておられます。

 

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ともに戦った6社の仲間たちの像。

子供もまじっていますでしょう?実際、子どもたちも戦士として戦ったのです。

武闘派とは程遠い私にとっては、彼らの勇気にあこがれます。

どれほどの恐怖を乗り越えて行動に出たのでしょう。

 

 

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霧社事件の現場にも行きました。

かつての「霧社公学校」は、今では「台湾電力公司」=電力会社になっていました。

でもね、私、ちょっと入れませんでした^^;;

写真を撮る気持ちにもなれず。。。

 

殺された日本人たちの恨みがまだそこに漂っているような気分になりました。

事件後、制圧の名の下、復讐のように惨殺されたセデック族の人々の複雑な気持ちも。

すべてが未整理なまま、そんなふうに感じられた場所でした。

 

実はモーナ ルダオさんのお墓=抗日烈士の碑も、1973年、つまり事件の43年後に建てられたものです。

日本の敗戦後、台湾は中国国民党政府に引き渡されましたが、その政府にとって都合のよい形で作られたのがさきほどのお墓なのです。

結局は、人々が「政治」に翻弄されたまま…。

 

*****

 

日清戦争に勝った日本は、清(中国ですね)から台湾を譲り受け、多額の賠償金を受け取って、台湾を文明国家に変えていきます。

台北、台中、台南における都市化計画は、まるでもうひとつの東京を作ろうとしたかのようです。

 

そんな歴史の流れの中で、霧社事件は起こりました。

正直、日清戦争のことなんて、ろくに考えたこともなかった私ですが、霧社事件をきっかけに、アジアの近代、いつ、どこで、何が起こってきたのか?を勉強し直さねば!と、強く感じました。

 

日本帝国によって文明化をせかされた土地=台湾。

そして日本の横暴はまだまだ続くのです。

 

<つづく>

 

 

【注 霧社事件】 *このリンクには衝撃的な写真が載っています。殺傷が苦手な方は見ないでくださいね

 

霧社事件とは、1930年10月27日、 各地の駐在所と、霧社公学校の運動会への襲撃を発端とした抗日闘争です。

この日、近隣の日本人の多くが、運動会に集まっていました。

セデックの人々は、140人あまりの日本人(うち1名のみ、浴衣を着ていた漢人が間違えて殺されてしまいました)を襲撃しました。

この日の襲撃は、単なる暴動ではなく、出草と呼ばれる儀式でした。

出草とは、首狩りのことです。

 

台湾の原住民部族【注】のほとんどが、首狩りをおこなっていました。

実は、20世紀初頭まで、世界各地に首狩りの風習をもつ民族は各地に暮らしていました。

 

というか、人類はかつて、ふつうに首狩りをしていたのではないかと思います。

 

たとえば、私たちが日常的に使ってる 道 という漢字は、

しんにょう  に  首  と書きますよね?

漢字はもともと象形文字であることからわかるように、敵の首(東部)を持って歩いた場所が 道 になったのです。

 

 

漢字が成立したのは3000年前あたり、とされていますので、その元である象形文字はもっと古くからあったでしょう。

その象形文字には、明らかに敵の首の絵が描かれていたと思います。

 

新石器時代ころの人類は採集、狩り、小規模農耕で暮らしていたおり、隣の部族から襲撃されたらあっという間に絶滅です。

そこで隣接する部族に対し、「うちの部族は恐ろしいんだぞ!こっちへ来たら、おまえはこうなる」というふうに、敵の首を身につけて出かけたり、敵の首を集落の入口に飾ったりしていました。

 

首って、ほんとにインパクトありますからね〜〜

日本でもついこないだまで、さらし首 の風習がありましたしね。

 

あ、でも、このやり方って、現代の「核装備」と似てますね。

ウチの国には核爆弾がこんなにあるんだから、襲撃してきたらどうなるかわかるだろ?っていうあのやり方^0^

 

そんな首狩りの風習ですが、都市文明が起こり始めた1万年前あたりから、だんだん少数派になっていったように感じます。

都市には立派な城壁があり、首を飾らなくても敵はかんたんには襲ってこなくなったし、

やるとしたら、一気に相手の土地(耕地)を奪う「戦争」というスタイルがメインになってきた。

 

でも、昔ながらの暮らしを愛する民族もいたのです。

都市文明嫌い!自然と一体になった生活がいい!

そんな人々は都市勢力の及ばない山地に入って、

なおかつ、都市との交易を小規模におこないながら、なんとか折り合いをつけてこの一万年を生き延びてきた。

19世紀あたりには、世界各地にそんな部族がたっくさんいましたよね。

 

国家を形成しない人々。

もっと小さな単位で、独自のルール(法・掟)によって暮らす人々。

 

都市人にとって、そうした人たちはある種の脅威だったと思います。

だから、彼らにむやみに関わらないように、彼らの暮らしを尊重して「ウチはウチ、あちらはあちらだから」と、あえて触れないようにしてきた。

 

しかし、15世紀に始まった大航海時代以降、都市文明人の中にあった「違う生き方の人たちへの畏れ、尊重する気持ち」は失われていったように感じます。

自国とは遠く離れた僻地までやってきて、よその国をわがものにする=植民地主義。

そんなあつかましくも恐ろしい考えが世界を席巻し、

隣接してもいない土地を征服したり、地球の裏側から奴隷と称して人をさらってきて暴行を加えたり、2度もの世界大戦を引き起こしたり。

 

この「世界中で互いを奪い合った時代」が、都市文明を選ばなかった人々の生活を根底から奪っていった、と感じます。

 

今日、2017年において、首狩りを暮らしの一部とする部族は、ほぼ存在しないと思います。

国家を持たない暮らし は、20世紀にとうとう潰えたのだなあ、と思います。

(一部の人の心の中にはまだその気持ちがあるでしょうが、実際の生活は失われてしまった)

 

個人的には、首狩りは怖いし、ウチの旦那に対して「男なら首狩って来い!」とかって思うこともありませんが、

旧石器時代から500万年も続いてきた「人類が選んだもうひとつの暮らし方」を奪う権利など誰にもないと思うのです。

 

【注 台湾原住民】

台湾に、新石器時代から住んでいた人たちのことを、原住民と呼びます。

日本語では、もともと住んでいた人たちのことを「先住民」と呼びますが、

中国語では「原住民」になります。

中国語の「先住民」=かつて住んでいて今は絶滅してしまった人たち のことになるんだそうです。

2017年時点で台湾政府が認定しているのは16部族ですが、本当はまだまだあります!

 

台湾原住民の総人口はおよそ55万人。

台湾の総人口が2355万人なので、やはりマイノリティです。

暮らしの場を追われ、日本軍と国民党による、2度の同化政策で必然的に人口が減ってしまったのだと思います。

 

しかし各部族ごとにすばらしい文化を持つ台湾原住民の人々。

台湾政府も現在、復興政策をとっています。

台湾のもうひとつの顔、いいえ、ほんとの顔!

原住民の皆さんのますますの活躍に期待してやみません!!

 

 

 

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本日もお読みいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

 

at 09:17, 山下じじ, 台湾旅日記

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